澤西祐典「文字の消息」
三つの短編小説から構成されている
表記の話はひとつめ、三つの中でも特に緻密に描かれている
文字の消息
「文字の消息」は「文字」によって汚染されていく日常が描かれている
文字通りの「文字」 「あ」とか「当」とか「F」とかのそれ
黒い文字たちが雹のようにぱらぱらと積もっていく
物語ではその文字を使って手紙をハンコのように作り送り合う(相手は遠方で、どうやら「文字」の被害は受けていない)
相手がたもきちんと手紙を返しているようだが、本作は文字による被害を受けている女性と、その夫の手紙の内容のみの描写になっている
除染も復旧も叶わない中、静かな寂寥感を感じる
砂糖で満ちていく
二作目 病によって体が砂糖に変態し蝕まれる母親を介護する娘の話
こちらも一作目のような寂寥感、ちょっぴりの絶望感が描かれているのかと思いきや、得体の知れない背徳感を感じた
別にセクシャルな描写があるわけではない 娘と母親はどこまでいっても娘と母親だった
感性のするどいひとは理由もわからずほろりと来てしまうかも知れない わたしはなぜか泣きかけた
災厄の船
こちらは二作と打って変わって、どこか寓話のような印象を抱いた
海沿の田舎になぜか碇泊している、古くて巨大な「災厄の船」を町おこしに使いたい町の人間と、災厄を信じて疑わない住人たちの攻防……というには少し静かすぎる
結局大人たちの攻防の裏で皮肉な結果になってしまう この結末も寓話、おとぎ話のような、反面教師にできるような作品だ まあでも一家言のような主張があったわけではないので子供に読み聞かすのはあまり効果がなさそうだけれども
シュールな世界観
舞台や展開、結末の感じは三者三様違うのだが、みな「寓話」のような感情移入のできなささ、何もかも「手遅れ」になってしまい物語が終わってしまうあっけなさが共通しているように思える
どれもかれも「ここで終わるのか」と微かに驚いた
この作家の作品は初めて読んだが、テンションが絶妙に好きだ
別なタイトルも手に入れたので、「思考は現実化する」を読み終わった後にゆっくり読みたい(まだ読んでるのかよ……)