ガロアの

galois is

意味のない連鎖

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思い出したことがあった

去年だったか、夜に電車に乗っており、仕事の疲れでウトウトとしていたら、頭の中に微弱な言葉が無数に浮かんできたときがあった

 

支離滅裂なそれはなにも意味をなさないようで、川の流れのような、水が低い方に流れていくようにごく自然な連鎖だった

流暢と言ってもいい、知らない文法で紡がれる言葉のような感じ

 

意味不明な言葉が浮かんでいることは自覚できていたが、覚醒したときにはこれらの言葉は思い出せないであろう確信もあった

案の定まったく記憶できていなかった

 

その時に耳に入ってきた周囲の会話であったり、気温、イスのやわらかさ、その日の出来事なんかが順番に、芋づる式に本当に些細なことまでスルスルと繋がって頭に浮かんできたのだった

止めどなく、スパークするような感覚といえば伝わるだろうか

 

わけのわからなさと、ごく自然な語感が同時に成立していた

その感覚は不思議で、その時の手応えを思い返そうとしているが、うまくいかない きっとこのまま忘れていくのだと思う

 

 

鳥の鳴き方

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たとえばニワトリがコケコッコーと鳴くが、あの鳴き方はいつ覚えるのだろうか

親鳥がコケコッコーと鳴くのをきいて、自分も鳴けるようになるのか

生まれた時から一羽でいても、ちゃんとひよこからニワトリに育ったら、ちゃんと誰に教わったでもなくコケコッコーと鳴けるのだろうか なんか鳴ける気がする

 

決まった鳴き方をする鳥はいろいろいる

キジバトデーデー、ポポーと鳴くし、コジュケイビッビ、グイーと鳴く

そういうものの中には繁殖期特有の鳴き方というものもあるが、生まれ持った鳴き方なのだろうか

 

違う地域に棲む同じ種類の鳥は、同じ鳴き方をする

前に伊豆で聞いたコジュケイの鳴き声は、本土のと同じものだった

 

人間でいう〝言葉〟とは、違う次元のものなのか

 

人間は、たとえば挨拶にしても国によって言い方が違う

文化圏の違いによって、鳥でいうところの鳴き方にかなりの差がある

言葉は教わらなければ話すことができないから、地域によって方言が生まれたりする

たとえば日本人夫婦の子供だとしても、アメリカで育ち、両親が英語で普段から会話をしていれば、その子は英語を母国語にする 英語しか喋れないアメリカ人になる そういうことって動物にはないのかな いや動物に文化圏とかないか

 

しかし、笑ったり泣いたりというのは万国共通だな

鳥の鳴き声というのはそういうものに近いのかもしれない

笑い方、鳴き方というのはどうやって身につくのだろう 人間の赤ん坊は、言葉を身につける前に泣きじゃくったり笑い転げたりするから、あれも遺伝子レベルで〝そう〟なってるのか

文化の違いによって、笑い顔で悲しいを表現したり、怒り顔で楽しいを表現したりすることは果たしてあるのか

 

なんとなく竹中直人を思い出した

今めちゃんこ流行ってるcoffin danceもなんとなく思い出した

あれはガーナの葬儀の形態のひとつのようで、「天寿を全うした」というのを祝って、あんなオシャで楽しそうな踊りを棺桶担いでやるそうだ

 

クリスチャンの葬式に参列したとき、遺族と参列客が笑顔で故人の思い出話をしていたのを思い出した

クリスチャンは、故人と離れ離れになるのが寂しいのはもちろんだが、その人が「あの世」へ行ったことはちゃんと喜ばしく思う

わたしの家はプロテスタントではあるが、そういう切り替えは一生できそうにない 本場のキリスト教徒は強いな

 

 

というようなことを考えながらアニメを観ていた

別に鳥が出て来もしなかったし、誰かが死ぬ描写があるわけでもなかったが

 

寝ている時の立ち位置

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ベッドにごろりとなって目を閉じた時、夢ではなく、意識して適当な景色を思い浮かべることがあるが、そのときの体の向きをどう思い浮かべるかが問題だったりする

重力の向きというか

 

眠りに落ちる前……意識がある際、仰向けに寝転がっているとき

お腹から背中の方向へ重力が向いていますから、足の向く方を地面として景色を思い浮かべるとなんとなく空想にリアリティが欠けるように思える

 

代わりに、目の前に広がるのは空であったり、部屋の天井であったり、鬱蒼と茂る木々の頭部であったり、ちゃんと寝姿勢に対応した視界を思い描いた方が重力の向きと空想がリンクする気がします 臨場感が増す

ただ常に上方向の視界しか見えていないことになるので、空想する景色としてはやや短調で面白くなりにくい

 

しかし考えてみれば、夢の中では普通に歩いたり走ったりするから地面と垂直に立っているだろうし、それに応じた視界を味わっている

意識が消えてさえしまえばあまり関係のないことだ

 

ここまでのことを考慮に入れてみると

夢の中での独特な、〝体が自由に動かない〟フワフワとした縛られたような感覚は、実際体にかかっている重力の向き脳内視野で感じ取っている重力の向きとがちぐはぐなことに起因しているのかもしれない 可能性はなきにしもあらず

 

 

立夏を過ぎ、そろそろストレートな「暑い」を感じつつある

台風、もう上陸しそうなんですね

しかしまだ「乾燥しているな」と感じる時がある

「乾燥している=めちゃめちゃ寒い時期か、花粉の時期」という認識でいるため、なんとなく違和感があるな

こういう時期は風邪を引きやすいので、気をつけよう