ガロアの

galois is

鳥の鳴き方

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たとえばニワトリがコケコッコーと鳴くが、あの鳴き方はいつ覚えるのだろうか

親鳥がコケコッコーと鳴くのをきいて、自分も鳴けるようになるのか

生まれた時から一羽でいても、ちゃんとひよこからニワトリに育ったら、ちゃんと誰に教わったでもなくコケコッコーと鳴けるのだろうか なんか鳴ける気がする

 

決まった鳴き方をする鳥はいろいろいる

キジバトデーデー、ポポーと鳴くし、コジュケイビッビ、グイーと鳴く

そういうものの中には繁殖期特有の鳴き方というものもあるが、生まれ持った鳴き方なのだろうか

 

違う地域に棲む同じ種類の鳥は、同じ鳴き方をする

前に伊豆で聞いたコジュケイの鳴き声は、本土のと同じものだった

 

人間でいう〝言葉〟とは、違う次元のものなのか

 

人間は、たとえば挨拶にしても国によって言い方が違う

文化圏の違いによって、鳥でいうところの鳴き方にかなりの差がある

言葉は教わらなければ話すことができないから、地域によって方言が生まれたりする

たとえば日本人夫婦の子供だとしても、アメリカで育ち、両親が英語で普段から会話をしていれば、その子は英語を母国語にする 英語しか喋れないアメリカ人になる そういうことって動物にはないのかな いや動物に文化圏とかないか

 

しかし、笑ったり泣いたりというのは万国共通だな

鳥の鳴き声というのはそういうものに近いのかもしれない

笑い方、鳴き方というのはどうやって身につくのだろう 人間の赤ん坊は、言葉を身につける前に泣きじゃくったり笑い転げたりするから、あれも遺伝子レベルで〝そう〟なってるのか

文化の違いによって、笑い顔で悲しいを表現したり、怒り顔で楽しいを表現したりすることは果たしてあるのか

 

なんとなく竹中直人を思い出した

今めちゃんこ流行ってるcoffin danceもなんとなく思い出した

あれはガーナの葬儀の形態のひとつのようで、「天寿を全うした」というのを祝って、あんなオシャで楽しそうな踊りを棺桶担いでやるそうだ

 

クリスチャンの葬式に参列したとき、遺族と参列客が笑顔で故人の思い出話をしていたのを思い出した

クリスチャンは、故人と離れ離れになるのが寂しいのはもちろんだが、その人が「あの世」へ行ったことはちゃんと喜ばしく思う

わたしの家はプロテスタントではあるが、そういう切り替えは一生できそうにない 本場のキリスト教徒は強いな

 

 

というようなことを考えながらアニメを観ていた

別に鳥が出て来もしなかったし、誰かが死ぬ描写があるわけでもなかったが